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August 17, 2008

フェートン号事件

会社の先輩が定年退職の後で劇団に入って役者になり、ときどきテレビにも出演するなど幅広く活躍している。長崎歴史文化博物館のホールで松平図所頭200回忌記念公演「フェートン号事件」の芝居に出るというので見に行った。このフェートン号事件は長崎検定の試験にも問題としてでるほど長崎では大変有名な話なのだ。

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江戸時代の日本は鎖国を行っていて、オランダとのみ長崎を通じて交易をおこなっていた。長崎には幕府直轄の奉行所が設けられていた。長崎歴史文化博物館は長崎奉行所立山役所のあった場所に奉行所の形を復元して建てられている。

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松平図所頭が長崎奉行を務めていた1808年(文化5年)イギリスの艦船フェートン号がオランダの国旗を掲げて長崎港に入港し迎えに出てきたオランダ人を人質に水と食料を要求してきた。

当時のヨーロッパではオランダはフランスに占領されフランスとイギリスは戦闘状態にあった。フェートン号はオランダ船を拿捕する目的で日本近海に来ていたが、水と食料がなくなったため長崎港に入ってきたのだった。

長崎港の警備は主に佐賀鍋島藩、大村藩などが交代で行っていて、この年は佐賀藩の番だったが、佐賀藩は警備の兵を削減していて、まさかの事態に対応できず戦いの準備が整わないまま、フェートン号の要求に応じて水と食料を渡さざるを得ない事態となった。

長崎奉行であった松平図所頭康平は侵入船の不法新入をゆるし戦うこともできずに要求に応じて国威を辱めたとして、責任をとって切腹したが、当時の長崎市民は諏訪神社の境内に神社を設け図所明神・康平社としておまつりした。

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この事件を契機として幕府は長崎の警備を厳重にし、佐賀鍋島藩は軍備の近代化をすすめていくことになった。

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